「小林秀雄の事」

小林秀雄の事」


拙著「小林秀雄論」より少し引用する。

 「私の眼は光っているが、私の胸は暗いのだ」

 小林秀雄が「ルナアルの日記」のなかで チェホフの日記の言葉を引用したものだが、小林秀雄自身も又実生活のなかで同じ想いを痛烈に味わっていた。この言葉の分析はたやすい。科学者の透徹した眼差しと真の宗教家の情熱さえあれば誰でも吐ける言葉である。人生のあらゆるものをまるごと事実と して受け入れ、それに手を加えようとすれば、いやでも胸は暗くなる。しかしそれを達観する事が出来れば、何の事はない、単に人間の宿命というワンパターンの見せ物にすぎぬ。だがそれに自らが関与するとたちまちのたうつことになる。自己の無力さを思い知るからである。この関の事情を悟性で理解する事は誰にでも出来る。

 だがパスカルが言ったように「大人物にとっても、小人にとっても、起こる事件は同じ、不快さも同じ、情念も同じである。だが、一方は車輪のふちにおり、他方は中心近くにいる。だから、 同じように動かされても、動き方が少ない。」(パンセ、一八○、田辺保訳)

 これは又、逆も然りである。ミクロもマクロも同現象と映ずる。
 自明の事だが人は誰でも自己の体験を土台とした尺度でしか物事を判断せざるを得ない。それ以外はすべて仮物の情報的知識にすぎぬ。言語表現に限らぬがここに質と量の、或は次元のやっかいな問題がある。所詮は五十歩百歩にすぎぬ、という何もかも全てを 一緒くたにする便利なセリフがある。聡明なニヒリストにかかるとこの言葉は最も切れ 味の良い刃であり、あらゆる思想を相殺する武器と化す。ヒューマニストはもとより、ヒロイスト、ニヒリスト、ナルシスト等々。
 これらの存在達は内容はどうあれ自己中心 的という意味では大差はない。悲哀、苦悩等の結果として個人がいかなる世界観に至ろうと、これ又、五十歩百歩なのである。
 
 一見乱暴に聞こえようが相反する思想といえども自己意識が中心に核として在る限り、苛酷とも言える分析は己れに課さねばならぬ。 呪われた存在という言葉はこの意味で使われている。小林秀雄が自ら「批評家失格」を 公にして私的立場に視点を据えつけたのもこの「いたちごっこ」をくり返す乱戦に意識 的に加わった為である。ナワバリ争いのごとき乱戦のなかでの正常な戦いは無力に等し いと観じた個人の内的悲劇とも言える。世間でも常に使用される幼稚で単純な心理学だ が、これ又、中々したたかな力となる。
 
 次のパスカルの文章も同根からのものである。
「虚栄心というものは人間の心の中に深く錨をおろしているので、兵士、従卒、料理人、人足にいたるまで、それぞれにうぬぼれも持ち、人からもてはやされたいと願うほどで ある。哲学者までが、自分を礼賛してくれる者を得たいと願う。虚栄心に反対の論を立 てる者も、論じ方がすぐれているという名誉を得たいと思っている。またそれを読む者 の方は、読んだという名誉を得たいと思っている。今、こんなことを書いているわたし も、たぶん同じ願いを抱いているのだろう。そして、おそらく、これを読んでくださっているかたがたも…:。」と。(小林秀雄論・小林秀雄の覚悟より)

 「真理の名の下に、どうあっても人々を説得したい、肯じない者は殺してもいい、場合によっては自分が殺されてもいい。ああ、何たる狂人どもか。そこに孔子の中庸といふ思想の発想の根拠があった様に、私には思われる。無論、私は説教などしているのではない。二千餘年も前に志を得ずして死んだ人間の言葉の不滅を思い、併せて人間の暗愚の不滅を思ひ、不思議の感をなしているのである。」(中庸)

「地獄」の果てまで至った魂は、それが現実の日常のすべての人々の魂の裡に秘み「自分自身達」の手でその地獄絵を描き、もがき苦しんでいる、その「様相」をつぶさに観、体験した者は、その時代と、同時代人と共に心中し、又、いわゆる認識の山の頂より降り下って、人々の魂の裡に復活する。

 小林秀雄の言っている「社会化した私」とか「実行家の精神」等の言葉はその意味で使われている。だが自明のことだが、同じ視点に立たぬ限りそれは理解されにくい。
だが「一度目覚めた者は二度と眠ることは許されぬ」 事を小林秀雄は肝に銘じている。現代においては、かつての形での「殉教者達」を断じて出すわけにはいかぬ。殉教者達の魂の裡を旅した果てに「いかにかすべきわが心」は、ついに方法を生み出す。殉教者達の魂を日常化する事、一般化すること、非凡と凡人の魂を同一の地平に置き据える事。

「奇怪な世相が、彼を苦しめ不安にし、不安は、彼が持 って生まれた精妙な音楽のうちにすばやく捕えられ、地獄の火の上に、涼しげにたゆとう。」(実朝)。

 そのためにはどうしても「批評家失格」宣言が必要であり、又、「公人から 私人」への移行が必要であった。その移行は「孤独の裡」に成され、一見「べらんめえ 調」を通して高みから語らず、精妙な「魂の遠近法」をもって、あらゆる人々と交流し、 対話すること、であった。こうして批評精神から創造精神へと彼の精神は変容した。あ とは実践あるのみ、不屈の意志力をもって「同時代」の人間に真の「問い」を、問いと は何かを、それこそ「金太郎アメ」のごとく、問いかけ、「訴え」続ける事、他人がどう 思おうとも。

 
 ただ「近代」という時代にあっては小林秀雄の言うごとく「伝統や約束の力を脱し、 感情や思想の誘惑に抗し、純粋な意識を持って人生に臨めば、詩人は、彼の所謂人生と いう『象徴の森』を横切る筈である。それは彼に言わせれば、夜の如く或いは光の如く、 果てしなく拡がり、色も香も物も互いに応え合う。こういう世界は、歴史的な、或いは、社会的な凡ての約束を疑う極度に目覚めた意識の下に現われる。それは彼の言う『裸の心』 が裸の対象に出会う点なのである。詩の自律性を回復する為には、詩魂の光が、通念や約束によって形作られている、凡ての対象を破壊して了う事が、先ず必要である。と、ボードレールは信じたと言える。そうしなければ、言葉の自在を得る事は出来ない、何物にも頼らない詩の魅惑を再建することは出来ない、と信じた。」
 
 これは詩に限らず他の 分野にも言える。そして「詩」という言葉を「個人」という言葉に置き換えてもいいのである。「詩魂」とは「いかにかすべきわが心」の精髄である。「いかにかすべきわが心」 だけでは済まぬ現代にあって、知的ゲームの達人や地上を、日常的生を遊離する中途半 端な神秘家や教義に呪縛された宗教家達は毒にも薬にもならぬ「仙人」にすぎぬ、やじ馬にすぎぬ。

 戦争という事件は「地獄絵」を赤裸々に現実化した。だが、真の芸術家は世が平和な時でも日常の一見何気ないなかでも「地獄」を観ている。

「かけがえのない命」を人は日常の日々の中で、想念の中で、あるいは観念の中で切り裂き、殺している。「いかにかすべきわが心」は何も戦争という事件を実際に体験しなくても本当に見ようと思えば誰でも観え、体験、実感しうるものである。

 そのためには「悟性を磨くことではない、心性を磨くことです。そして『心性明らかなれば、慈悲決断はその中にあり』」と、「歴史と文学」でのべ、さらに「文学と自分」のなかで、二宮尊徳の言葉を引用し「『氷を解かすべき温気胸中になくして、氷のままに用ひて、氷の用をなすものと思ふは愚の至りなり』と言っています。大切なのは、この胸中の温気なのである。――自分の胸がそういう氷を解かすほど熱いかどうか知るがよいのだ。」と。
 激しい覚悟を秘めた言葉である。誰かが小林秀雄のことを評して「蒸気ポンプの煙にすぎぬ。」と言った。むろん、そこには友情も含んでいようが何と情ない譬えであるか。「温気」がなければ、火がなければ、ポンプどころか「煙」すら出まい。その中にあって、そのような世にあるからこそ、彼はいかにも実体のつかみにくい存在になることを甘んじて引き受けた。彼の胸中深く、ある断念がなされたのだ。公人から私人へ、読人知らずへ、批評家失格の批評家へと。


「二部・小林秀雄の覚悟」より

 小林秀雄の覚悟は本来の人間ならば誰でもが所有せねばならぬものであり、具えよう とすれば誰でもが所有することが出来る。その深浅、強弱など問題とならぬ質のもので ありながらそれを持続し得ないのは他者との比較、或は自己との内的戦いに疲労する等々の個々人によって理由は異なるが、単純に言えば自己自身を支えるに足る足場を所有 出来ない事による。

 悟性による理解と日常の実践との溝は実に深いのである。誰も好んで不安や痛い目、苦悩など望まない。出会いと訣別、誤解や無理解等は自明の事として 歩まねばならぬからである。
俗に言う「浅く広く」が社会の中で自他との関係を保つ止むを得ぬ形式となる。時と共に習慣化し、有形、無形の毒と化す。そこに個人の存在、 或いは個人の責任は存しない。ゆえに最も野蛮な力ともなり、脆弱でもあり、かつ水の ようにいかなる容器にもすぐに収まる。

 無論、毒も使用法によっては薬ともなる。習慣 のあらゆる形式の集合体が社会である。その形式の最初は毒でありそれが薄められ社会化する。あらゆる習慣の核には毒が存する。非凡から凡へ、さらに凡のうちに非凡を見 い出した時、個人と社会との深い内的血縁関係を洞察するに至る。社会は常に有用なも のしか受け入れぬ。身体的であれ、精神的であれ。ゆえに毒のままの存在は変容しない限り拒否される。自明の事である。小林秀雄は「Xへの手紙」の中でこの事情を要約している。

「社会のあるがままの錯乱と矛盾とをそのまま受納する事に堪える個性を強い個 性という。彼の眼と現実との間には、何ら理論的媒介物はない。彼の個人的実践の場は 社会より広くもなければ狭くもない。こういう精神の果てしない複雑の保持、これが本 当の意味の孤独なのである。」と。
 さらに言えばこの孤独を体得した上で社会的存在として存在するのが真の個人と言うことである。個人と言ってもピンからキリまである。小林秀雄が「私小説論」のなかで吐いた「私小説は亡びたが、人々は『私』を征服したろうか。私小説はまた新しい形で現れて来るだろう。フロオベルの『マダム・ボヴァリィは私だ』という有名な図式が亡びないかぎりは」は今日でも、未来でも通用する。

 我々は「私」を征服してはいない。私を征服するとは真の自己認識の事であるが、その困難さは人類の過去を少しでも一瞥すれば明らかである。血塗られた歴史そのものである。ましてや自己認識に至った者の生き方は想像を絶するものだ。我々は簡単に凡、非凡と線を引く。だが責任は常に五分五分である。双方共責める訳には いくまい。ここに又、相対的世界観の引力が作動する。対社会に対する個人のバランス 操作には都合が良いが、個人の元来具えている能力や資質等を葬り去る力ともなる。さ らには感受性そのものもマヒしていく。次の小林秀雄の「現代文学の不安」のなかにも この事が語られていて、今後もこの問題の深刻さは依然として変わらず、人々はイタチごっこをくり返していくであろう。

「私たちは古人の夢を嗤うが、誰にもそんな権利はな い。夢みるような余裕はないというが、誰も目を覚ましてはいない。人間が今日ほど悪 夢に悩まされている時代はかってなかったであろう、と言えば悪夢とはこれまた古風な 比喩であると嘲笑うほど私たちの悪夢は深い。たとえば一番簡明な例をとってみたまえ、私たちが無感覚になっている事実がどれほど深刻であるかがわかるだろう。」 と。

 だが今日においては事態はさらに加速していて無感覚の感覚が良しとされる世界観 が最も強力な社会的力であり、それに相反する思想は心理学の域を脱していない中途半 端な神秘主義者達である。現実の眼前に存在する者の気持すら理解出来ぬくせに現実を 軽視し、個性を無視する。現在そこかしこにはびこっているほとんどの自称悟った、とのたもう存在達は小林秀雄の言わんとしている事を読み取ることは出来まい。神秘家という視点より見れば小林秀雄は真の神秘家に属するからである。あまりに自明の事ゆえ 語らなかったにすぎぬし、又、いかに日常的地平に降ろすか、と常に心魂を砕いていた からだ。

 「自覚、これがいちばんむずかしい。自分自身を知る、この問題は汲み尽くせない。道 徳の問題が汲み尽くせないゆえんも、そこにある、そこ以外にはない。しかし、いくら 汲んでも汲み尽くせない処に眼をつけるのと、後から後から湧き出る処に眼をつけるの とはたいへん違うだろう。ゆえに道徳はついに一種の神秘道に通ずる。これを疑う ものは不具者である。」(道徳について)。