「死神」


「死神」


「人はパンのみに生きるにあらず」だと、ふん!見るがいい、荒野の対決以後、
依然として人間共は俺の意のままである。

所詮、生存とは他の生物の犠牲なく存続不可能である。
人間にそれを超えうる能力を与えられていたとしてもその秘密に至るまでの苦悩に
耐えうる者などざらにはいない。
故に人は限りあるこの世の生を楽しむのだ。
虫けらのような連中を信じようとしたお前の負けだ。
奴等によってお前は磔にされ、選んだ弟子にも見放されたとは情けない話だ。

見よ!今、お前の教えは実践されるどころか、美化され、奴等の金儲けの手
段になっている。信仰という名目で奴等の自己欺瞞の麻薬と化し、獣の本性を
隠しては悦に入っている。どいつもこいつもお前の言ったことや存在したこと
などおとぎ話にしか思っていない。

それにしてもお前が託した連中の骨無し共はこの俺が見ていても軟弱すぎる。
たまには戦いがいのある存在が少しはいないと飽きもくるわい。
最近は俺の下っ端が相手でも赤子同然である。俺の出る幕はとんと無い。
逐一、下っ端の報告を聴くまでもない。

*
 
まったく、親分の言うとおりだ。一番下っ端のこのおれ如きに誰もが歯も立たぬ。
このおれが地上に居たときは何もかもが幻想にすぎぬと思っていた。
このおれが居るから世界も存在すると。
眼に見えぬ世界など幻想が生み出す主観にすぎぬと。
自己、すなわち知覚する主体が無ければ世界は無である。
素朴、単純だが明解である。故に世界は自己の生み出す主観的表象にすぎない、と。

今日でもこの考察は誰も論破出来ない。仮に論破したとしても誰も理解出来ない。
いや、理解したくない。実証出来ぬものを信じる事自体、主観にすぎぬ。
死者が甦ることなど自然の摂理に反する。
このおれですら肉体を失うまで分からなかった。
ましてや、おのれの欲望に飢えている連中どもがそこまで探求できるものか。
このおれですらろくに寝ないで脳味噌を軋ませ、必死に考えた結果の世界観なのだ。

最近の若者はこのおれの考えに魅了されている。
おれの生きた時代はおれの世界観を受け入れる者はまれだった。
ほんの一握りの連中が共感していたが、それも自己流に色づけした都合のよい解釈でだ。
老い耄れても現象界に執着する。
このおれすら恐れていたのだ。無理もない。
これからますますこのおれの子分共が増えてくるだろう。
奴等は肉体を失ってもこのおれの弟子なのだ。

この世界では虚無空間は実在する。その欲望の強度と悦楽は地上の感覚の比ではない。


私はうなされ、真夜中に眼を覚ました。全身に汗をかき、異様な底冷えの寒気がしている。
真夏に・・・・・・

 

二〇〇〇年一月六日